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2007年04月01日

20年の月日


仰々しいカテゴリータイトルですが、自分が事実上の解雇を受けた日から丸20年が経過しました。






20年前、いや正確には20年と1日前まで自分は日本国有鉄道(以下、旧国鉄と表記します)の職員でした。

当時は政府が三公社・五現業の民営化に本腰を入れており、旧国鉄の【分割・民営化】も国鉄再建委員会なるものによって6つの民営旅客会社と1つの貨物会社に分割するという、それはそれは凄まじい勢いで施策を進めていたのです。

自分は昭和56年(1981年)釧路駅に配属になり、その後6年間にわたって駅の各業務を経験してきました。
採用直後から労働運動にも参加し、分割・民営化の格好の餌食となった【国鉄労働組合】(いか、国労と表記します)の青年部執行委員の一人として赤字線廃止反対運動などを展開しました。
確かに国労はその他に不合理な労働運動も展開していました。それは事実です。
自分も率先してハチマキやら腕章やらを着けてアピールしなければなりませんでしたが、「こんな事で良いのか?」と自問することも多かったです。

そんなことが災いしたのか、いつの間にか『国労潰し』という言葉が世間に氾濫し、徐々に行動を制限されるようになってきたのです。
通学生徒の多い駅の無人化が進められた時、事故防止の観点から最低限の監視駅員の配置を求めた署名活動をしても、「お前ら国労のやることには賛成できん」と門前払いを受けることが当たり前になっていました。
当時0歳だった自分の長女が通学で使うようになった時、将来も本当に安全な鉄路であるように願って署名をお願いして回っていたのですが、大方の住民に方々には受け入れて貰えなかったのです。
その後その駅は無人化されました。そして、駅員がいないことを良しとして連絡通路を渡らずに線路を走り抜ける生徒が目立ったのです。
自分の無力さが情けなかった時期でもありました。

昭和62年(1987年)4月1日、自分はJR各社には採用されませんでした。
先述した『国労潰し』の一環とも言われていますが、実に国労組合員の約8割が不採用だったのです。
他の労働組合の採用率とは雲泥の差が出ていました。
その日から【国鉄清算事業団】という組織がJR各社とは別に設立され、自分はそちらに配属されました。
ここでは「3年の猶予期間内に再就職先を斡旋する。もしくは職業指導する。」と言うような事業内容だったと記憶しています。
正当な解雇理由も明らかにせず勝手に配属し、3年だけの給与保証。当然納得できませんでした。

新組織に移行して1ヶ月経った頃、JR北海道が不足人員を2次募集するという通知が流れました。
当然皆応募しました。旧国鉄時代の元上司からも「お前は絶対に採用になるから必ず応募してくれ」と言われ、自分も家内と乳飲み子を路頭に迷わせるわけにはいかないので応募するつもりで家内に相談したのですが、家内からの返事は自分の予想とは正反対のものでした。
「あんたが1度頭下げて“入れてください”って応募書類出したんでしょ?でも叶わなかった。そして今度も出して、もし採用されたら1度目の応募破棄の根拠は何?正当な判断ではなかったと言うことになるでしょ! そんないい加減な基準しか持ってない企業には勤めなくて良い。好きに生きて良いよ。」
この言葉は自分にとってとても励みになる言葉でした。

自分の人生を更に遡ることにします。
旧国鉄に採用になる前、高校生だった自分は亡き父と同じ建築士になりたくて大学か専門学校へ進学したいと考えていました。
しかし母は自分の考えをある意味無視して安定した就職先をと願い、縁故関係や使える伝手全てを活かして自分の外堀を埋め、半強制的に旧国鉄の採用試験へ向かわせたのです。
そう、実は正直入りたくて入った旧国鉄ではなかったのです。

そんな経過を高校生の時から交際していた家内は全て知っていたのです。
だから↑のコメントを自分にぶつけてくれたのでしょう。

その後は楽しいことも辛いことも、嬉しいことも悲しいことも色々と経験してきました。
でも、この20年を後悔することは一度もありませんでした。
そして、これからも後悔することはないと思います。
それは自分を支えてくれる家族がいて、友人・知人がいて、同じ志を持った仲間がいて、さらには自分のサイトにコメントを寄せてくれる皆さんがいること、これは自分の大事な財産です。

これまで本当に有り難う。そして、これからも宜しくお願いします。




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Posted by masayan1101 at 20:31│Comments(12)回顧
この記事へのコメント
masayanさまへ

ビバ、20年!
簡単に20年と言っても、ここには書けないご苦労もあったと思います。
家族の支えがあってこそ、特に高校時代からずっとmasayanさんを支え続けた奥様がいらしたからこそがんばれたんだと思います。

>でも、この20年を後悔することは一度もありませんでした。
>そして、これからも後悔することはないと思います。
>それは自分を支えてくれる家族がいて、友人・知人がいて、同じ志を持った
>仲間がいて、さらには自分のサイトにコメントを寄せてくれる皆さんが
>いること、これは自分の大事な財産です。

そう素直に言えるmasayanさんに妻の立場からみてもとても頼もしく
男らしくみえました。
世間では不倫だ、熟年離婚だと騒いでいる大人がたくさんいます。
夫婦でしっかりコミュニケーションを取っていたからこそ、悲しい時も
辛い時もすべてうまく乗り越えられたのだと思います。
記事を読んでいたら胸が熱くなってきました。
これからもまた20年、30年とご家族のみなさん、特に奥様と
幸せにお過ごしくださいね。

ところで、「鬼嫁」とはmasayanさんの深い愛情表現だったのですね。
私は「奥様のこと鬼嫁だなんて、なんて失礼な!」と
ちょっと怒っていたのですよ。
でも、今日の記事を読んで安心いたしました。
愛情表現だったのですね。納得!
Posted by Yume at 2007年04月01日 22:25
masayanさんの歴史の一部が垣間見られた今回のエントリー、
ン~と唸りながら読ませてもらいました。
私も今の仕事の前は(25年前)サラリーマンを1年だけ経験しました。車のディーラーの営業でしたが、私には無理な仕事でした。組織の中に入ってうまくやってゆくことの難しさを感じました。ある意味はみ出しモノなので、私には出来なかったぶん、そういう人たちを尊敬します。
これからも後悔しない人生、ご家族と歩んで行けたらいいですね。
ちなみにうちの嫁は本物の鬼嫁です^_^;
Posted by りむパパ at 2007年04月01日 23:22
色々と考えましたが若造の僕には、上手い言葉が見つかりませんでしたので、2度読みました。

自分だったらどうしたんだろう?
そう考えますと、奥様の言葉が強みになり、2次募集に応募しなかったかもしれないし、応募したかもしれません。
それは分からなくて当たり前なのですが、いずれにせよ家族が居ればこそ乗り越えられる、自分だったらそう思うかもしれません。

僕もmasayanさんのように後悔しない人生を送りたいと思います。
僕の20年前は、小僧でした(笑
Posted by 火の玉レッド at 2007年04月02日 00:15
読んでいて私も胸が熱くなりました。
ご苦労されながらも自分を信じ、奥様を信じてきたからこそ今があるんですね。
これからも後悔のない人生をご家族や奥様と共に歩んでください。
この先にはもぉ~っと大きな財産になるものがあると思います。
って、まだまだ未熟な私が生意気を失礼しましたぁ(^_^:ヘヘッツ。
Posted by 茶月@REDRABBIT at 2007年04月02日 17:29
コメント有り難うございました。

>Yumeさん、
素直に生きてるのではなく、単細胞人間なので難しい生き方が出来ません。(笑)
いや~鬼嫁の表現が間違ってるとは思えないんですよ、これが…。
ホントに怖いです。(爆)

>りむパパさん、
りむパパさんの所もですか?こんな事書いて、奥さんが後でコメントを見ても
僕は責任取りませんよ!(笑)
明日りむパパ家は血の海か!?(爆)
ちなみに、我が家の鬼嫁はカヌークラブでは【鬼嫁3号】と呼ばれています。
1号・2号のお二人は亭主以外の男性クラブ員全員が逆らえないほど凄いです。(怖)

>火の玉レッドさん、
自分はこんな職歴があったので、「30歳までに人生の基礎を固める」つもりで
資格を取りまくりました。
現在所有する資格は履歴書の欄に書ききれません。
レッドさんもじっくり考えて自分の人生を計画しても良いかも?です。

>茶月さん、
苦労なんてしてませんよ!楽観主義者ですから。(笑)
仕事してて「辛いな~」って思っても、あの笑顔を見たら全てチャラになって
しまうんです。
それぐらい単純なのかな?自分って。
茶月さんもこれから相方様と素敵な人生を歩んでくださいね。
Posted by masayan at 2007年04月02日 19:06
素敵な奥様ですね。
自分も離職経験があります。でも、自分の動機はまだまだ甘いのです。
そんな自分が、面接する立場になっちまいました。
最初に言うのです。
「皆さんの人生にとって大切なこと。だからこちらも、真剣にいろいろお伺いしたい。」と。
でも、カタカナ言葉の連発、使い古された言葉の連続も含め正直疲れるのです。
話がそれてしまいましたが、考えて生きるって大切ですね。
こちらは、ぐうたらなので反省ばかりです。
Posted by そば太郎 at 2007年04月02日 22:00
うろ覚えだけど、昔のパパは怖かったな。
今となってやっと昔の状況が理解できる齢になったけど。
何かぎすぎすしててさ。だからこそ今みんな仲良いのかな?

パパかっこいいぞ☆
いつまでもかっこいいパパで居てね。
困ったときはたまには長女・次女に頼ってね。
(」゜o゜)」<最強姉妹なんだから☆
Posted by 応援団団員@長女 at 2007年04月03日 01:11
長女さまのコメントに、涙が出ました。
今、涙でコメントが読めません。
masayanさま、ステキなご家族に囲まれて本当にお幸せですね。
カッコイイゾ、masayanさま!
Posted by at 2007年04月03日 15:35
コメント有り難うございました。

>そば太郎さん、
以前にプチオフした時に転職された事を簡単にお聞きしたこと今思い出しました。
長く勤めると、だんだん立場が上がって行く事でいろんな事も起きますよね。
自分は給料だけ上がってくれればそれで充分です。(笑)

>長女へ、
そんなにギスギスしてたか?パパはお前らに愛情タップリだじょ~。
格好いいとは他人から見ての判断であり、自分が作るものではないのだよ。
だからパパは今までのパパのままでいるのであります。(^o^)V

>ゲストさんへ、
ご芳名がありませんでしたので『ゲストさん』とさせていただきます。
お褒めいただき有り難うございます。
でもね、自分も娘も泥臭い生き方してますし、世間を渡り歩くのが下手な部類です。
でも、嘘をついて生きたいとは思っていません。恐らく娘も同じだと思います。
これからも自分を見失わないで生きていきたいと思います。
Posted by masayan at 2007年04月03日 17:53
ちょっと遅れてしまいましたが、はたちのお誕生日おめでとうございます(^^。
すばらしい20年間だったのですね。いろいろな苦労を振り返って今「後悔はない」と言えることがとてもすばらしいと思います。
娘さんから「たまに頼って」って嬉しいですねぇ。我が家じゃあり得ないですよ。
これから長い人生、いろいろな苦難もありましょうがご家族力合わせ乗り越えていってほしいと思います。
私も何かできることがあれば声かけてくださいね。
Posted by カノン at 2007年04月03日 23:50
うーん・・・。
自分だったら奥さんのように言えるかな・・。考えちゃいました。

娘さんも気軽にパパのブログに参加されるし、(写真も拝見したけど)仲良しなのね~、うふふ。
Posted by じゃらし at 2007年04月04日 19:10
コメント有り難うございました。

>カノンさん、
応援コメント有り難うございます。
“人生山あり谷あり”って言いますが、自分の場合は“絶壁ありクレバスあり”
って感じです。(笑)

>じゃらしさん、
画像の娘は次女でして、コメント寄せてくれてるのは長女なんです。
長女は今、舞妓さんと仲良しになって楽しいらしいです。
Posted by masayan at 2007年04月05日 20:35
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